論理的結末

 アドラー心理学では、論理的結末という言葉を使います。
 原因なくして結果なし。
 この結果には、必ず原因がある。
 愛されている人には愛される原因がある。信用を失っている人は信用を失うようなことをしてきた。子供が親になつかないのは、その原因がある。失敗するにはその原因がある。
 法律も、不法行為責任の判断で因果関係を重視します。結果が発生しても過失と結果との間に因果関係がなければ、生じた結果に対する責任は問えない。
 仏教でも、因果関係を重視します。賢明な目で因果関係を見つめることを重視します。
 往々にして人はこの因果関係を見ようとしない。どうしてこの結果が生じたかを考えようとはしない。
 人のせいにしたり、社会のせいにする方が楽だから。
 しかし、それでは、本当の現実を認識していないのだから、知性がなく、進歩がない。
 絶えず、因果関係を注視することは、大脳を有する人間にしかできない。
 流されるのではなく、因果関係を良く見つめることが大切です。
 アドラー心理学では、「貴方が○○し続けると、どうなると思いますか」と問います。


法律問題を抱えている人も

 法律問題を抱えている人は、混迷に混迷を重ね、という状態です。

 離婚は特に。子供の問題、お金の問題、これからの生活の問題と、色々なことがあるので、わけがわからなくなってしまいます。そんなときは、きちんとした第三者に相談しましょう。ここで大事なことは社会や物のわかった第三者に相談することです。適当なことを言う人も沢山います。こうすれば、こうなる、という論理的結末を理解するには社会経験も知性も必要です。

 大事な場面で、母に言われたから、妹に言われたから、友人に言われたからと自分で何も考えずに言っているようではダメです。身近な人の意見を聞くことはいいのですが、いうなりはダメ。